多くの言語にある、お馴染みの「外来語」。遥か昔から、ほとんどどんな言語でも、周りの言語や、交流のある言語から新しい概念や細かいニュアンスの単語を受け入れ、自分の言語をさらに豊かにします。歴史について語ったりもします。例えば、アラビア半島で「本」と言う技術が開発され、隣にあるインド亜大陸でのヒンディー語では、「本」の単語はアラビア語由来の「キターブ」になっています。

もちろん、日本語にもこう言う外来語もあります。現在、あんまりそう考えられないようになりましたが、「禁止」「購入」などの熟語はもともと中国語ながらも、もう純日本語になってきた感覚です。一方、明治時代以降、特に欧米言語由来の外来語はカタカナで書かれるため、目立って比較的にわかりやすいですよね。(ただ、その前にも、当て字で書かれる「台詞」や「煙草」や「倶楽部」もありますよね。)

他言語を勉強する場合、外来語は学問の王道と考えるのが魅力的です。(特に世界共通語の英語では。)確かに、日本語では多くの英語由来の単語がありますね。「ラジオ」や「カメラ」などの、新しい概念と一緒に導入される外来語はもちろん、さじの「スプーン」や、看板の「サイン」などの、すでに日本語にあった単語の細かいニュアンス違いを表す単語も多いです。

ただ、危険な思い込みの罠に落ちないのが大事ですよね。例えば、必ずしもカタカナで書かれるから英語由来という訳ではありません。特に昔からの外来語はいろんな言語由来です。例えば、英語母語の、日本語を勉強する人の天敵「アンケート」は英語ではなく、フランス語の「enquête」由来ですので、英語基準からすると一切意味が推測できません。他にも、「ワッペン」はドイツ語の「Wappen」由来で、ドイツ語では「ヴァッペン」と発音されます。(英語では「patch」です。アプリのバグ直し更新と同じパッチですよね。)さらに、「ウイルス」は、英語もラテン語の「virus」を使いますが、「ヴァイラス」と発音されます。

もっともややこしいところかもしれせんが、英語由来の外来語の多くは英語での実践的な使い方から擦れる場合があります。これは珍しくのではなく、むしろ基本的に外来語は元の言語の意味より細かくなるのが一般的です。例えば、「ライブ」は英語の「live」由来ですが、英語ではもっと広く「生放送」「中継」の「live broadcast」に対応する、「生で」のような意味の形容詞です。たまには、ニュアンスが全然違います。日本語の「リベンジ」は「再挑戦」のような、比較的にポジティブな意味合いですが、英語では「revenge」は「仇」「復讐」「仕返し」という、相当に乱暴な意味になります。

ちなみに、日本語にも、通常の傾向をひっくり返す、大変貴重な外来語もあります。極めて珍しい、元の言語より、意味の広い外来語。その単語は、「ジュース」です。英語では「juice」は基本的に「果汁」か「肉汁」に限り、日本語のような「ノンアルコールの甘い飲料」という、炭酸飲料でも含む広い意味が一切ありません。つまり、「Would you like some juice?」(「ジュース、いかがでしょうか?」)と聞かれたら、「はい、コーラを下さい」と答えたら大変な違和感になります。(英語圏では果汁は「朝食」のイメージも比較的に強くて、もう一種の違和感も出る可能性もあります。ご注意ください。)

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