ARTICLES PR系翻訳における「高品質」の定義とその役割について
当社でも翻訳の「高品質」を謳っていますが、翻訳における品質の定義はなかなか難しいものです。
誤訳がないかどうか、用語は統一されているかどうか等、最低限の品質基準は存在しますが、
クライアント(翻訳の依頼者)の趣向および評価基準によって判断される要素も多く、翻訳における品質の定義は実はとても曖昧であると言えます。
中には、クライアントの求める翻訳こそが、高品質の翻訳であるという意見もあります。
しかしながらこれまでの経験より、特にPR分野の翻訳においては必ずしもそうとは言えないのではないかと考えています。
今回は、「PR動画の日英翻訳」という分野に焦点を絞り、格安翻訳やAI翻訳が普及して気軽に翻訳を利用できるようになった昨今、
なぜ翻訳の品質にそこまでこだわる必要があるのか、Localifyなりの見解を示していきたいと思います。
翻訳が本来持つ役割
クライアントは皆、翻訳を通して達成したい「目的」があります。
特に、PR関連における翻訳は、それ自体が会社の利益や評価に強く結びつくものです。
そんな時、私たちには、翻訳の提供を通して、クライアントの伝えたいメッセージをターゲット層に適切に届け、会社に貢献するという使命があります。
そのPR翻訳が担う本来の役割を考えたとき、一般的に翻訳において求められている「正確性」や「読みやすさ」といったものから一歩飛躍した表現力が、
クライアントの目的達成には必要であって、その目的を達成できる翻訳こそが、高品質の翻訳であると考えています。
なぜ「クライアントの求める翻訳≠高品質の翻訳」なのか
当社は翻訳とナレーション収録のワンストップサービスを主軸に展開していますが、
「社内に留学経験のあるスタッフがいる」「英語ネイティブのスタッフがいる」といった理由から、稀にクライアントが台本用の翻訳原稿を作成されることがあります。
また、当社が翻訳した原稿に対して、そういった英語が堪能なスタッフの方より修正がなされて原稿が完成することもあります。
その中には、残念ながら、動画自体やPRするサービスや製品そのものは大変すばらしいのに、
動画翻訳の専門家の目線でみると、必ずしも適切な表現とは言えないケースも見受けられます。
そして、そのことをご説明しても、「既に社内承認が通っている」といった理由より、当社の提案をなかなか受け入れていただけないことが多いというのが実情です。
確かに翻訳を内製化することで、納期やコストといった重要な要素が削減できるという大きなメリットはありますが、
品質を伴わない翻訳では、本質的に伝えたいメッセージをターゲット層に届けることはできず、
翻訳の本来の役割を果たすことができないのです。
このような理由から、必ずしもクライアントが求めるもの、考えるものがベストとは言い切れないと考えています。
なぜ、英語が堪能であっても、翻訳品質を保持できないのか
一概に英語ネイティブである、もしくは、英語が堪能であるということが、常に適切な英文を作成できるというわけではありません。
英語ネイティブを、日本語ネイティブに置き換えてみると、イメージしやすいかと思います。
日本語ネイティブ(日本人)が全員、大多数に認められるような日本語文章を書けるかというと必ずしもそうではありません。
表現力とは、その表現者の言語センスやバックグラウンド、経験などが大きく影響するものです。
つまり、英語ネイティブであることや英語が堪能であるということと、
彼らが紡ぎ出す英語の品質は必ずしもイコールにはならないのです。
この本質はなかなか世の中に浸透していないため、結果、専門家でない方による翻訳の内製化が進んでおり、
以下のような翻訳における問題がたびたび発生しています。
- 直訳
一番多いケースが、直訳になってしまうことです。
翻訳とは、単純に、一字一句形式的に、日本語を外国語に置き換える作業ではありません。
そもそも日本語と英語は語順や論理構成が大きく異なるため、
言語上のさまざまな特性を考慮しながら翻訳する必要があります。
そのあたりを考慮せず直訳してしまうと、冗長的で何が言いたいのか明確に伝わらなかったり、
全く意味の通らない文章となってしまう恐れがあります。
- 表現力
PR系の動画では、ターゲット層の関心をいかに惹きつけられるかどうかが鍵となり、
上述した直訳調の表現や単調な表現ではなく、巧みかつ訴求力のある表現が強く求められます。
そのためには、冗長的な情報は意図的にカットして重要なメッセージを強調させる、
原文から飛躍的に意訳してインパクトのある表現に仕上げる等、工夫が必要になります。
このあたりの表現力については、その人の翻訳実績や言語センスに大きく依存するものです。
- 映像と表現のバランス
これは表現力につながる部分もありますが、
映像のトンマナと、英語表現がマッチしていないケースがあります。
例えば、映像はカジュアルでフレンドリーな雰囲気なのに、言葉遣いがフォーマルすぎる、
その逆も然りで、映像は堅実でフォーマルな印象なのに、言葉遣いがカジュアルすぎるというケースが挙げられます。
原文である日本語にとらわれすぎて、英語の細かなニュアンスを軽視していることが原因で発生する問題です。
- 情報過多
自社のPR要素を最大限伝えたいがために、情報量を詰め込みすぎてしまうということが、
特に該当分野の社内担当者様が翻訳される場合によく起こります。
人間が視覚と聴覚から取得できる情報量は限られているため、
情報を詰め込みすぎると、内容が自然と入ってこなかったり、
ナレーション収録を行う際に、尺からナレーションが溢れてしまうといった問題につながります。
勇気をもって敢えて「余白」を持たせることも、ユーザーフレンドリーの視点からは必要条件なのです。
表現者としての責務を果たす意義
以上のことから、PRツールとして活用できる動画に仕上げるためには、
翻訳については専門家に依頼するのがベストと考えています。
さもなければ、せっかく動画を制作しても、PRの効果を全く発揮せず、かえって会社の信用を失いかねません。
もちろん翻訳会社側の人間としても、クライアントが一生懸命作られたことがわかる翻訳は、
出来る限りそこに込められている想いを尊重したいですし、否定することはしたくありません。
また、クライアントと当社の間に制作会社様が介在する場合、
エンドクライアント様の意向を尊重したいという制作会社様のお気持ちもよく分かります。
時には迎合が求められる場面もあります。
しかしながら、それでもお客様のビジネスに役立ちたいという一心で、
このように少し耳の痛い話をさせていただくこともあります。
それは、表現者である私たちの責務であり、真の意味でお客様のビジネスのみならず、
延いては日本の国際化に微力ながらも貢献できると信じているからです。